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へブル書11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

望んでいる事柄をどうやって確信し、見ていない事実をどうやって確認することができるのでしょうか。

それは、聖書の御言葉からです。


ローマ書10:17 したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。

私達の信仰は、イエス様の言葉を聞いて聖書の言葉を受け入れ、聖句を通して神の啓示を受け、神様の言葉、神様の御国を経験することによって、確立されていくのです。


エペソ人2:10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。


神様は、私達一人一人にすばらしい計画を与えてくださり、それは私達が行う良い行いで、神様から与えられる使命です。ただし、これは、キリストにあって初めて実行されるのであり、キリストから離れていては、何もおこりません。

日々の生活の中で、一秒一秒、キリストの中にいて、神様が備えてくださった善い行いをして過ごせたら、神様の素晴らしさを絶えず体験できると思います。


エレミヤ書29:11 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。

第一コリント14:2 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。


異言には2つの目的があります。一つ目の目的は、神様への祈りの言葉です。霊で祈る時に出てくる霊の言葉です。これは、その人の徳を高めます。(第一コリント14:4異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、)これは、クリスチャンすべての人がもらえる神様からのギフトです。


もう一つの目的は、異言の解き明かしと一緒に使われ、教会の徳を高めるために使われる聖霊の賜物としての異言です。(第一コリント14:5わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。)


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