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ヨハネ書1:12しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである

イエス様を信じた時に、イエス様は私たちに神の子となる権利を与えてくれました。

また私たちは、神の家族の一員となりました。私達が神の子であるならば、父なる神様の持っている物すべてにアクセスできる権利があります。そしてキリストと共同の相続人にもなりました。

イエス様を信じるということは、こういうことです。私達には全能な神様が味方についているのです。

ローマ書8:15あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。

エペソ人への手紙2:19そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。

ローマ書8:17もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

ヨハネ第一の手紙4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。

神様からの愛には恐れが全くありません。神様の完全な愛は恐れを取り除いてくれます。恐れは神様から来ていません。恐れがあるときには、ひざまづいて祈り、神様の愛に囲まれて平安を得るまで祈りましょう。

ヨハネ第一の手紙4:12 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

テモテへの第二の手紙1:7 というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。

テモテ第二の手紙3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

”神の霊感を受けて” と書かれてありますが、ギリシャ語では、神が息を吹き込むというギリシャ語が使われています。すべての聖句が、人が自分の意志で書いたものではなく、神が人に息を吹き込んで書かせたという意味です。

そして、このすべての聖句が、私達を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益であると言っています。私たちはこの神の言葉に忠実に従う必要があります。

ローマ書15:4 これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。

パウロによると、旧約に書かれた事柄もすべて、私達の教えの為に書かれたと言っています。旧約聖書に書かれてあること、新約聖書に書かれてあること、すべて、一字一句無視してはいけないのです。聖書の言葉、すべてが私たちのために書かれてあります。

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