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アモス書8:11 主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。

これはイスラエルに言われている言葉ですが、私達クリスチャンにも当てはまります。これから主の言葉のききんが起こります。主の言葉を心に留めることができる今、私達は、聖句を勉強して心に留める必要があります。

詩編でいっているように、主を見出すことができない時がきます。主を見出しうる間に、主に祈って、信仰を強めていきましょう。

詩編32:6あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。

大水が溢れ流れるときにもその人に及ぶことは決してありません。

ヤコブの手紙4:7 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。

霊的戦いは、自分の中から始まります。悪魔に誘惑された時、私達は、まず神に従い、悪魔に立ち向かわなければなりません。神に従うとは、エペソ書の6章によく書かれています。また立ち向かうということは、抵抗するということです。悪魔にすきを与えず、それでもやってきたときには、悪を入れないように、入らないように抵抗しなければいけないのです。イエス様はすでにサタンに勝利されています。それを信じる信仰をもって、霊的戦いに勝利していきましょう。

エペソ6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

ペテロ第一の手紙5:9 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。

テサロニケ人への第一の手紙2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。

聖書の言葉は、神の言葉であるので、それを人からの言葉ではなく、真実である神の言葉としてそのまま受け入れる、疑うことなく受け入れることの必要性が、ここに書かれています。そしてこの言葉は、信じれば私達の内で働いて下さっているのです。

ヨハネ書6:63 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

イエス様が話して下さった言葉、聖書の言葉は、霊であり、また私達を生かしてくださる命でもあります。

テモテへの第二の手紙3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

聖書の言葉を神の言葉として受け入れて、その言葉を経験していきましょう。

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